2021年7月18日 (日)

"WANT TO DO"リスト

2021年7月18日(日) “WANT TO DO”リスト

 仕事を進める際、『TO DOリスト』を作ることがあります。今取り組んでいる課題を進めるために必要となること、処理すべき事項等を列挙し、済んだものから消してゆくというリストです。落ちをなくすために、また、進捗状況を確認するために役に立ちます。

 フリーになって2週間、”WANT TO DO”リストというものを作りました。”have to do”とは少し違う、でも頭にあり続ける事柄ではある。それって”want to do”ってことだよな、と思ったのが発端です。「掃除、荷物整理」といった永遠に(?!)解決しないのではないかと思われる事項もあるのですが、先週、2つの消込みに成功しました。

  • Twitterの開設
  • 土手ランの再開

です。Twitter140字という制約に気圧されて今まで避けてきたのですが、自分でアカウントを持っていないと、少なくともスマホでは記事を見られない(何故かPCでは見られたりするんですが)という状況が続いていました。なので、開設はしたものの、当面はROM(Read Only Member)となる見込みです。ご容赦ください。土手ランは、ご近所の江戸川土手のランニング(ジョギング)。これも久々に再開しました。

 ただ、問題は、消込みに成功する事項よりも追加される項目の方が遙かに多いということ。こうして延び続けるリストを毎日のように眺めています。まだ何も出来ていないのに、何故か嬉しくなる脳天気さが不思議です。

2021年6月25日 (金)

「住めば都」の「京都(みやこ)暮らし」

2021年6月25日(金) 「住めば都」の「京都(みやこ)暮らし」

 生来「住めば都」というたちです。今までも、生まれ育った和歌山、学生時代からの東京、子ども達が生まれ育った千葉(松戸)といった個人的な事情に加え、仕事として、熊本、長野、静岡、北九州、そして現在の京都、滋賀と、多くの土地で暮らしてきました。住んだ先々で、忘れ得ぬ方々からのご縁をいただき、本当に面白いもの、興味深い事柄に巡り会い、多様な経験をさせていただきました。その一つひとつが、自分にとって掛け替えのない財産になっています。

 現在住む京都でも、祇園宵山の日にこちらに来て、「坩堝(るつぼ)」とはこういうことかと実感したのが最初の印象でした。街を歩いてみて、そこかしこに時代時代の息吹が感じられ、本当に奥の深い、襞(ひだ)の多い街だと思いました。2年のうち1年半近くをコロナの影響下で過ごしましたが、おかげさまで逆に京都の中を隅々まで歩き回ることができました。街を歩き、京都トレイルを一周し、大文字山や比叡山、愛宕神社にお参りし、東寺、太秦広隆寺、醍醐寺等々で比類なき仏像、堂塔を拝見しました。

 この度、そんな「京都(みやこ)暮らし」に区切りを付けることになりました。併せて大学卒業以来30有余年続けた公務員人生にも一区切りです。思い返してみて、やはり何より「人とのご縁」が全てのベースだったなと改めて痛感しています。そして、このご縁は是非これからも大事にしたい。

 皆さま、本当に有り難うございました。そして、引き続きどうぞ宜しくお願いします!!

2021年6月12日 (土)

蛍火の夕べ by 糺の森保存会

2021年6月12日(土) 蛍火の夕べ by 糺の森保存会

 京都に来て『糺の森保存会』という団体の個人会員になりました。糺の森は、下鴨神社の境内の森。京都の街中にありながら、神域であるため、古来(縄文以来)の植生がそのまま残る貴重な森です。保存会は、この森の保全を目的として設立された公益財団法人(現理事長は、裏千家の千玄室氏)。毎年この時期に「蛍火の茶会」というイベントを実施してきました。

 しかし、このコロナ禍で、昨年は中止、今年はお茶の提供は中止しつつも『蛍火の夕べ』として開催に漕ぎ着けました。舞台は下鴨神社の神服殿(重文)。夕刻ほの明かりの中、箏曲や雅楽舞が行われました。これだけ聞くと「古式ゆかしき」という修飾語が頭に浮かびますが、メインイベントは、十二単衣姿王朝女人の雅楽舞。えっ? 十二単衣なんて立ってるだけで大変で、歩くのもやっと。舞なんて、論外。。ではありますが、下鴨神社の巫女さんが大奮闘で頑張ってくれました。元博物館の学芸員という神職の方の楽しくかつ知識豊富な解説とともに、とても楽しい時間を過ごすことが出来ました。

 こういう楽しそうなことはやってみようという進取の気風(?!)、大好きです。

(cf.) 糺の森財団 https://tadasunomori.or.jp/about/

2021年6月 1日 (火)

チャレンジ

2021年6月1日(火) チャレンジ

 今日から20日まで、9都道府県に出ていた緊急事態宣言が再度延長されました。ワクチン接種の拡がり等の明るいニュースもありますが、飲食店に対する休業要請等厳しい状況も続きます。もう1年半近くこうした状況が続いていて、さすがにもう大変という感覚になってきているのですが、そんな中、京都の我が家のご近所にあったお店の新たなチャレンジの話です。

 我が家があるのは京都の下町で、一本入ると仏具屋さんや畳屋さん等が軒を並べていたり、柑橘類のめちゃくちゃ美味しい路面に式台を出している果物屋さんがあったり、といった地域ですが、そんな並びに一軒の薬膳カレー屋さんがありました。休日のお昼や夜などに折々通っていたのですが、今年初めからの2度目の緊急事態宣言のとき、とうとう暫く休業との張り紙が出ました。「うーん、ここも厳しかったか。。」と何度か張り紙を見てため息をついては他の店を探すという日々でしたが、あるとき店の前を通ったら張り紙が変わっている気がして、よく見てみると「店舗移転のお知らせ ・・・この度、先斗町に移転しておでん&薬膳カレーうどんのお店を出します云々」。えっ!と驚き、改めてじっくり読みました。どう考えても、先斗町の方が家賃も高いだろうに、よくこの時期に決断された、と2度目の緊急事態宣言が明けた3月、先斗町のお店に行ってみました。白木のカウンターが美しく、アクリル板もあって感染予防対策もバッチリです。当時はまだお酒も飲めたので、ビールを飲みつつ、おでんや料理をいただき、締めは薬膳カレーうどん。いやぁ、美味しかった。ご主人曰く「以前からこうした展開は考えていたが、先斗町などは出物があってもすぐに相対で次が決まってしまい、チャンスがなかった。コロナで確かに少しは相場も安くなったし、そもそもやっと物件に出会えたので決めた。暫くは大変だけど、頑張る」とのことで、心底嬉しくなりました。

 そんなお店も、「酒を出すなら休業、ノンアルなら夜8時まで」との要請を受け、どうなっているかと先日再訪しました。午後7時の先斗町で、やっているお店が殆どない(従って人通りもまばら)という信じられないような光景の中を進んでいくと、そのお店には明かりがついていました。もちろん、違法(いや要請段階なので、反要請)営業ではありません。ノンアルコールビールを飲みながらおでんを食べるというちょっと寂しい状況ですが、それでも飲んだくれないので味がしっかり分かるという利点もあります(前向き!!)。店の回し者ではありませんが、京都にお住まいで、この時節、先斗町なんてちょっとねぇ。。と思われていた皆さん、是非一度お出かけ下さい。『百味飲食(ひゃくみおんじき。出典は、仏教の経典「無量寿経」)』というお店です。

 

(cf.) 『百味飲食(ひゃくみおんじき)』

京のおうどん おでん 百味飲食(先斗町/和食)<ネット予約可> | ホットペッパーグルメ (hotpepper.jp)

2021年5月22日 (土)

グラフィック・レコーディング

2021年5月22日(土) グラフィック・レコーディング

 異例の早い梅雨入りに続くひどい雨でした。皆様のところは大丈夫だったでしょうか。五月雨(さみだれ)とは線状降水帯のことだったか、と思わずカレンダーで日付を再確認してしまいました。

 それはともかく、先日久々に行ったオンライン呑み会で教えていただいた、清水淳子さんの『 Graphic Recorder ~議論を可視化するグラフィックレコーディングの教科書』(2017年、ビー・エヌ・エヌ新社)を読みました。

 グラフィック・レコーディング、或いは略してグラレコという言葉は、最近とみに聞く機会が増えていました。実物も時折目にしてはいたんですが、美術教師の息子ながら絵を描く才能ないからな・・などと、スルーしてきてしまっていました。ところが、上述のオンライン呑み会で、これが話題となり、その際の参加者の方から上記の本のご紹介をいただいたのです。グラレコは、イメージを掴むのに最適とのことで、マネジメント段階に至る前の論議を記録し、整理したものだと思われますが、この本を読んで、さもありなんという思いを新たにしました。

 教科書とあるように、その目的から具体的な絵の描き方まで分かりやすく書かれていますので、内容は本書に譲りたいと思うのですが、一点だけ、著者が終始こだわっているのは「構造化」ということです。考えてみれば、良く分からないと感じる会議では、時としてパーツパーツの議論はあってもそれらの関連性(構造)が不明確で、どういう枠組みで議論し、結論を出そうとしていたのかということが朧気になっている場合があるように思います。近年すっかり定着したパワポの資料にしても、単語或いはキャッチフレーズの羅列になってしまっているような資料は非常に頭に残りにくい。

 議論の枠組み、構造を共有して、知恵を出し合い、物事を決定する。そのためにグラレコが果たす役割が大きいのだろうと思いました。お絵描きの才能が急に伸びるわけでは全くありませんが、議論の構造化には常に気をつけていこうと改めて想わせてくれる、素敵な経験でした。ありがとうございました!

 

2021年5月 9日 (日)

国立京都国際会館

2021年5月9日(日) 国立京都国際会館

 長引く京都蟄居生活で、人混みを避けて歩く先の選択肢も徐々に狭まりつつある昨今ですが、今日は、宝ヶ池の国立京都国際会館まで歩いてきました。五条の我が家からは123kmというところ。緩やかな坂をずっと登り続ける道です。京都のシンボルでもある東寺の五重塔のてっぺんが、宝ヶ池よりも南の(したがって低い)北大路通り或いは北山通りとほぼ同じ高さだというのは、あるあるの蘊蓄。

 以前ここに来たのは、もう10年近く前。真冬の京都に、内々の結構重要な打合せで東京からとんぼ返り出張した折りでした。京都駅で新幹線を降りたとき、「さぶい!」と思ったんですが、国際会館は更に冷え込んでいて(雪混じり!?)思わず身震いしました。この仕事が一区切りしたとき、出張に同行させていただいた方から「京都、寒かったな」と声をかけて貰ったことも。

 今日の国際会館は、打って変わって初夏の装いでした。緊急事態宣言下、もちろん(?!) 閉まっていて、人っ子一人いない状況でしたが、その印象的な佇まいはそのままでした。思わず見惚れてしまいました。

 東京、京都、大阪、兵庫に出ている緊急事態宣言は、愛知、福岡を加えて今月末まで延長されることになりました。なかなか先行きが見えない日々が続きますが、今できることを一つずつ取り組んでいきたいと思います。

 

2021年4月25日 (日)

琵琶湖1周ウォーキング

2021年4月25日(日) 琵琶湖1周ウォーキング

 今日から東京、大阪、京都、兵庫に緊急事態宣言が発令されました。その直前の昨日の土曜日、近江今津から琵琶湖北湖を歩いてきました。

 まだ全く偉そうに言える段階ではないのですが、今、琵琶湖1周ウォーキングに挑戦しています。そもそもの始まりは、(NPO)滋賀県ウォーキング協会さんが滋賀県と協力して実施している年に14回に分けて琵琶湖1周を歩くというイベントのことを知ったところからでした。なるほど、色々な角度から見た琵琶湖というのは素敵だ、と無節操にエントリーしたのですが、2度目の緊急事態宣言と重なって京都在住の身としてはと2度も参加辞退することとなってしまいました。ようやく3月の末、堅田から大津まで(約16km)を歩く回に参加できたのですが、これではなかなか埒があきません。そこで、自主的に堅田から逆回りで歩くことにしました。

 その1回目、4月の初めに堅田から近江今津まで(約37km)を歩いたときには、丁度早かった今年の桜が満開でした。そして、昨日です。近江今津から今津浜、マキノ、海津、大浦と素敵な松並木に沿って気持ちの良い道が続きます。水があって、水鳥がいて、石積み等の文化遺産や街並みもある。印象で言うと、『海(湖)のある軽井沢』という感じ。本来ならこの季節には沢山の観光客を迎えていたのだと思いますが、今年は残念ながら静かなものでした。ビワイチのサイクリングのアドバイスに従って、奥琵琶トンネルは回避(2km程余計に歩くことになってしまいましたが、そのおかげで海津大崎からの素晴らしい景観に出会うことも出来ました。)。今熊第2トンネルを抜けて塩津浜に入ると、丁度田んぼに水が張られ始めた時期で、大きな鷺がたくさん来ていました。さらに藤ヶ崎トンネル、賤ヶ岳トンネル(これまたアドバイスに従い旧道の方)を抜けて木之本へ。そこから南下し、少し頑張って長浜まで(約45km)歩きました。トータル約100kmですが、これで漸く半分を超えたところ。やっぱり琵琶湖は大きい、という当たり前のことに改めて気づきます。

 今日からの緊急事態宣言でまた暫くは行けません(今日、実は大津~瀬田のイベントだったのですが、辞退しました。)。コロナと同様なかなか先を見通すことが難しい日々が続きますが、琵琶湖は逃げない、というこれまた当たり前のことにも気づきます。ゆっくりと自然体で、しかし決して諦めずに臨んでいきます。あれ、コロナと一緒?そうです。コロナもですね。仲間とともに、一つひとつ対応していきたいと思います。

2021年4月23日 (金)

鑑真和上、コロナ、ジョッキ缶

2021年4月23日(金) 鑑真和上、コロナ、ジョッキ缶

 本日の政府新型コロナ対策本部会議で東京、大阪、京都、兵庫の4都府県への緊急事態宣言の発令が決定されました。3度目の緊急事態宣言。大阪、兵庫、宮城に加えて、東京、京都等にもまん延防止等重点措置が講じられて以降、オンライン方式の対応等仕事の面でも影響を受けてきましたが、GWを控え、生活面でも、またもやの京都蟄居生活となりそうです。

 そんな中、先日、京都国立博物館で『【特別展】鑑真和上と戒律のあゆみ』を観てきました。鑑真和上像、晩年のお姿を模していることもあり、やや丸みを帯びた柔らかな、周囲に安心感を醸成するようなお像です。でも、ここに至るまでに和上は5度渡航に失敗し、失明までしました。その揺るがぬ信念にも改めて想いを致しました。考えてみると、以前、この和上像を拝見したのは東京上野の国立博物館でした。奈良の唐招提寺にはまだ行ったことがなかった。コロナが落ち着き、お像が還られたら、是非一度伺いたいと思っています。

 緊急事態宣言下で博物館を閉じざるを得ない事態もあり得ますが、その場合には緊急事態宣言明けにでも。お勧めです(予定では5月16日まで)。

 先週の日曜日(18日)には、まん延防止等重点措置下の京都で、太秦広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像に3度目となるご挨拶に行き、その帰り、偶々寄ったスーパーで最近噂の「ジョッキ缶」を見つけ買い求めました。職場の同僚、元同僚との『馬を見る会~2021皐月賞バージョン』Zoom会合のためです。帰りに揺すってしまったためか缶をあけた途端に吹きこぼれてしまったのですが、それでも生ビールに限らず、ビールは口の広い(ワンカップ型の)缶で飲むこの方式の方が美味しい、と思いました。6月中旬という再発売、更にはこの方式の普及(?!) を願ってやみません(勿論、路上飲みはしません)。

 いい季節になりました。コロナは引き続き大変です。仕事の面では、一つひとつ仲間とともに取り組んでいきたいと思います。でも、同時に生活面では、少しでも若葉の季節を感じつつ過ごしていきたいとも感じたのでした。

 

(cf.)

<京都国立博物館>

京都国立博物館 | Kyoto National Museum (kyohaku.go.jp)

特別展 | 京都国立博物館 | Kyoto National Museum (kyohaku.go.jp)

2021年3月31日 (水)

50年越しの宿題

2021年3月31日(水) 50年越しの宿題

 先月、大変嬉しい出会い(というか再会)がありました。このブログをご覧いただいたNさんからブログへのコメントをいただくとともに、お手紙を頂戴したのです。

 遷化: ぶろぐby藤原通孝 (cocolog-nifty.com)

 Nさんとの出会いは20余年前、飯山正受庵の先々代ご住職酒井盤山和尚の13回忌法要の折りでした。このとき、盤山和尚に連なった方々で設けられた「盤山会」メンバー等を中心に、和尚の追悼文集を作成しました。Nさんは盤山会の中核メンバー、自分も最後の最後に盤山和尚にご縁をいただいた者として、一文を寄せる機会をいただいたのですが、盤山会の面々は、さすが深く和尚の教えを受けた方たちだけあって強者揃い。本当に刺激的で印象深い出会いとなりました。東京へ戻った後、Nさんの監査法人事務所にお伺いしたりしたのもこの時期でした。その後、盤山和尚の後を継がれた寛道和尚とは引き続きのお付き合いをいただいていたのですが、盤山会の皆さんとはお目にかかる機会もなくなっていました。

 今回、50年前の盤山和尚からの伝言という形で、宿題をいただきました。ヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』(1959年、新潮文庫)。盤山和尚がNさんに読んでみろと勧められた本とのことで、文庫化されたのが約60年前。それにしても、60年前と全く同じものが簡単に読める。文庫という文化資産の偉大さを改めて感じました。自分も早速入手し、短いものなのですが、丁寧に読みました。ドイツの教養人(ヘッセ)から見た仏教というのはこういう景色なのか等と思いながらも、軽々に答えを出すのではなく自分の中で反芻していきたいと想いました。

 ・・・というわけで、ここですっきりと書き切れないのが自分の至らなさではあるのですが、一方、そう簡単に答えが出てたまるか(?!) という想いもあります。そんなことを想いながら、明日からの新しい年度を迎えたい、そんなことを考えた令和2年度最後の1日でした。

 新しい年度も、引き続きどうぞ宜しくお願いします!

 

 

2021年3月11日 (木)

10年

2021年3月11日(木) 10年

 今日は、このテーマで非常に多くの方が言及されていることと思います。以下、自分自身にとっての私的な覚え書きです。

 あの日、自分は東京平河町の都道府県会館6階で執務していました。大きな揺れが長く続き、背後にあった二重のガラス窓の内側の一枚が欠けました。窓越しに見える赤坂見附の保険会社の高層ビルが、目に見えて左右に揺れていました。都内の避難者の方への都道府県会館の開放、備蓄物資の再確認等を経て、自分は、その夜は執務室横の会議室で寝ました。家族の安否がすぐに確認できたのが幸いでした。夜中、某県から高齢者施設非常電源用の重油と棺の調達に関する問合せがありました。翌朝、近くの官邸から飛び立つヘリコプターを複雑な想いで見上げました。・・・書き出すときりがありませんが、次から次へと起こる事態に担当部局は疲弊しつつ、それでも物資輸送に係る自衛隊との連携等々新たな取組も講じられていました。自分は直接の災害対応部局でもなく、応援(邪魔をしないように気をつけながら)担当でしたが、改めて当時の関係者の皆さんに敬意を表したいと思います。

 自分に何が出来るか、何も出来ないのではないかと感じたことも山のようにありました(そしてそれも確かな事実)が、それぞれの立ち位置でできることを一つひとつやり続けるしかない。そう想いました。翌4月、先輩にお誘いいただいて、被災者支援コンサートの企画・運営をお手伝いしました(コンサート本番は5月)。この4月に職場に入ったばかりの後輩有志の皆さんが、被災地支援ボランティアから帰京して直接スタッフに入ってくれました。被災地に震災後初めて伺ったのは、その秋、住んでいた松戸市のNPOのボランティア活動の一環としてでした。名取市、山元町、東松島市、南三陸町。色々なところを廻り、お話を伺い、仮設住宅で避難者支援カフェの設営、運営のお手伝い等をしました。

 震災前からご縁をいただいていた団体が、毎年夏に東北や新潟、東京等で行っていたセミナーを、震災翌年から毎年福島で、震災からの復旧復興を大きなテーマとして行っています。その際に伺った大熊町(福島第一原発1~4号機所在)役場の方のお話が衝撃的で、東京で自分が関係していた別の勉強会にもお越しいただいてお話を伺いました。その下勉強も兼ねて、ちょうど大雪が降った会津若松を訪れ(当時、大熊町は町域のほとんどが帰還困難区域で、町役場も会津若松市に仮住まいされていました。)、高校の跡地を使われていた町役場、町立中学校、さらに仮設住宅等を廻りました。

 その後、北九州市に赴任した折には、鉄のご縁で職員を10名派遣するなどの支援をしていた釜石市に定期的に伺う機会がありました。女川町の日本財団支援の冷凍倉庫、石巻、気仙沼、陸前高田、大槌、宮古等々に伺ったのもこの時期です。

 そして10年。一つの区切りに過ぎません。復旧、復興はまだまだ続く息の長い取組です。改めて、自分に出来ることを、自分自身の立ち位置で、引き続き取り組んでいきたいと想います。

«『神様のカルテ』と「松本方式」の物語