「政治」を「消費」する危うさ
2008年5月7日(水) 「政治」を「消費」する危うさ
連休中、ちょっと(ではないですね、とても)真面目なことを考えました。この間、道路特定財源の問題、後期高齢者医療制度(あるいは長寿医療制度)の問題等々、テレビのワイドショーなどでも毎日のように取り上げられ、専ら総理或いは政府の無策、不品行が糾弾されてきました。確かに、政府あるいは自治体の説明不足、安くなると言っていたのに高くなることもままあるという保険料、保険証の未着等々国民として文句を言いたくなることも沢山あります。
こうした事象を分かりやすく伝えるテレビ等の報道、あるいはすっきりとさばいて見せる政治的主張には、非常に大きな意義があると思います。自治体関係者として、直すべきは直して取り組むべきとも強く思います。ただ、その先に、どういう社会を描くかということを、同時に常に考えていくべき時期に自分たちは来ているとも同じように強く思うのです。
後期高齢者医療制度の問題を取ってみても、多額の医療費がかかる高齢者だけを区分して保険制度を設けても意味がない、という主張もそれなりの論拠があります。戦後日本を作り上げてきてくれた大恩ある高齢者に鞭打つような制度を作ってどうするんだという主張も感情的には首肯できます。
ただ、それなら、その分の経費を誰が負担するのか。全国民を保険者として(というのが極端だとしても、勤労者世帯(我々のことです。)も含めた保険制度の下で)制度構築、維持を図ろうという選択肢も十分ありえます。しかし、それは、勤労者世帯の更なる負担増なくしては成り立ち得ません(無駄な行政を排除して経費を生み出せという主張も尤もです。しかし、その際にも、どれくらいの経費がいつまでに生み出せるのか、冷静に検討する必要があると思います。)。結局、高揚した処罰感からは、何物も生み出されないからです。
分かりやすく切り捨てることも、必要なあるいは有用な場合もあると思います。まずは、行政の無駄、天下り、職員の不祥事をなくしてから言えという言葉も身に沁みます。ただ、その中に、時として「政治」を、あるいは「行政」を面白おかしく(しばしば腹立たしく)「消費」して済ませてしまっているような気がすることがあるのです。
現在、大きな政治課題あるいは行政課題となるような事柄は、往々にして、どのような選択をしても、いい面と悪い面とが両方あるというものが多いと思います。ある意味では、だからこそ政治問題化しているとも言えるのです。そういう問題について、100%いいことしか起こらないような解決策はまずありません。
だからと言って、所詮お上のやることは、と斜に構えていても問題が解決しないことは勿論です。自治体関係者である自分としては、施策のプラスとマイナスを出来る限り分かりやすく説明し、判断の根拠を提示すべく努力したいと思います。他方、多方面で情報の受け手でもある自分としては、面白く分かりやすい主張、報道の便益を十分に享受しつつも、単に情報として「消費」するだけではなく、それじゃあどうするんだというところにも是非想いを及ぼしたい、また、そうした論議、報道、論評にも大きな期待をしたいと思ったのでした。

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